tellmemen’s diary

ニュース記事、社会問題、環境問題、人間心理、マナーやモラルについて追究。

日本の危機感の薄さを感じてしまう

エボラ発症後に20人と接触か 米で初確認の感染者

米メディアは1日、米国内で初めてエ ボラ出血熱の感染が確認された患者は、 リベリア人の男性で、渡米は初めてだっ たと報じた。ニューヨーク・タイムズ (電子版)によると、男性は、渡米4日 前にエボラ患者の女性を病院に連れて行 くなどしており、この際に感染した可能 性がある。 同紙などによると、男性は40代。9 月15日、発症した近所の女性を病院に 連れて行くため、首都モンロビアで女性 の家族らとタクシーに同乗した。男性は 医療関係者ではなかったが、救急車が来 なかったため搬送を手伝ったという。 女性はひとりで歩けないほど症状が重 かったが、病院に収容スペースが足り ず、帰宅後に亡くなった。同乗した家族 の一人もその後、死亡したという。男性は19日、ブリュッセル経由の航空便で 出国、20日に米国に入国した。 一方、CNNなどによると、男性は2 5日夜、発熱などの症状が出てテキサス 州の病院で受診。この際、病院側にリベ リアから来たことを伝えていた。 だが、血液の簡易検査などの結果、ウ イルスは検出されず、その夜はそのまま 帰宅した。しかし、症状が悪化し、28 日に同病院に救急車で搬送され、隔離さ れた。この間に感染を広めた恐れがあ る。 発症後に男性と接触したのはテキサス 州内の子ども5人や医療関係者ら20人 前後とみられる。当局は、該当者を自宅 待機や隔離するなどして経過をみてい る。

 
なぜ現段階から渡航禁止とかにならないんでしょう。 日本は注意喚起のみ。

こんな情勢であるにもかかわらずアフリカにロケに行く番組もあるようですね。

危機感が感じられません。注意喚起のみってありえないと思います。

原発のことも気にしていないような人が多数いる日本ではそうもなりますね。

そういったニュースに無神経なのかなんなのか

芸能人のブログチェックする暇があるならそういうニュースについてもうちょっと知るべきじゃないかと思うんですよね・・・

仕事に追われる日本人はニュースを気にしている暇がないんでしょうか?

テレビのニュースはおすすめしませんが。

 

 

 

外から帰ってきたら手洗いを習慣づけよう

 

間違いなく、外でのトイレを使用した後と、外から帰ってきた後は手を洗ったほうがいい。

 

こういう習慣が身についていたほうが、周りでインフルエンザなどが流行ったりしたときも、普段通りにしていれば焦ることは少ない。

 

色々今書ききったらきりがないので書けないが、お金やつり革など不特定多数が触るものは基本的に汚いと思っていたほうがいいと思う

ので私は基本的に触らないようにしている

 

私の場合、手を洗う回数が少なくなるように物事の順序を考えて行動する

(ちなみに外のトイレを使用したときズボンは小指で上げてトイレのドアを開け手を洗ってから服をセットしている)

 

そんなこと言ってたら何も触れないではないか。

それもそうだと言える。

 

でもちゃんと清潔に洗うすることを教えればたくさん汚れてきてもいいと思うのだ。

そのために汚れを落とす石鹸やハンドソープはあるんだから

こどもはこどもであるうちに砂場や公園でうーんと走り回って遊んで帰ってきたらいい。

 

走り回って転ぶ痛みを経験して強くなっていく。

帰ってきたら手洗いするなり外着はちゃんと着替えるなり体を洗うなりすればいいのだ。

 

風邪をひくこともまた経験だともいえる。

病気をして寝込むということが、どれほど辛いことかわかるから。


でも子どもがウイルスなんかに感染して高熱を出して苦しむような姿見たくないなら。

ちゃんと大人が手洗いすることを教えるべきだと思うのだ。

 

 

 

 

子どもにまっすぐ向き合ってあげて【ADHDとは】

ADHD(Attention-deficit / hyperactivity disorder:注意欠如・多動性障害)とは、年齢や発達に不つりあいな不注意さや多動性、衝動性を特徴とする発達障害*で、日常活動や学習に支障をきたす状態をいいます。

 https://www.adhd.co.jp/about/


普段の生活では耳にしないし、聞きなれない言葉かと思う

どういう意味だろう、と興味を持たなければ
知らないままだろう

よく小学校のころ落ち着きのない子供がいなかっただろうか


いつみてもそわそわしていたり

授業中にあらぬ発言をして怒られていたり

子どものころは何であの子は落ち着きがないのか、と疑問に思っていた

ADHDという言葉を知らなければ分からなかっただろうと思う

 

少し大きくなって
それを知ってから子どものころの落ち着きのなかった子を思い出してみる

よく考えたら共通するものがあったことに気づく

共通するなと思ったのは

純粋な部分が他の子どもよりも強いのかな、と思った


おんなじクラスには、いろんな子どもたちがいる

休み時間はスポーツするのが好きな子、教室で遊ぶのが好きな子
誰一人として同じじゃない

話を最後まで聞かないでよく先生に怒られている子もいるだろう


そういう子どもがいたとき、先生達はその子を見捨てないでほしい

あの学校の先生たちは、そういう子のことをちゃんと気にかけて接していた


間違った道に行ってしまわないように


先生は子どもの目をちゃんと見て、まっすぐ向き合うことが大事だと、思う


 

 

【拡散希望】海外への渡航を禁止にするべき【エボラウイルス】

以下ヤフー知恵袋からの引用文----------------------------------------------------------------------------------

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10133347230;_ylt=A7dP5XRu8.VTARcA_H4T_fN7

panyano_nidaimeさん

2014/8/800:21:28

アフリカ諸国でエボラ出血熱の感染拡大が止まりません。

日本国内でこのような病気が拡がる可能性は低いとは思いますが、アメリカやスペインなどと同じく国境なき医師団などで活躍されている医師の方々が感染して その治療のために日本に帰国するなどと言うような場合が考えられます。しかし、そのような場合日本でエボラや天然痘となどのレベル4に価するウィルスに対 応出来る病院施設とかはあるのでしょうか?
あと、積極的平和外交をとなえる安倍政権ですが、この問題について何ら積極的な発信がないように思います。富士フィルムのインフルエンザ薬がエボラに有効な可能性があるようなだけにもっと積極的に国際貢献するべきだと思いますが何かしらの発信などがあったでしょうか?
以上の2点が気になっています。皆様はどのようにお考えでしょうかご意見をお待ちしています。

 

回答

cravel_sirena_brujaさん

2014/8/801:27:22

日本にはある事はありますが、実際に稼働はしていません。
富士フイルムのインフルエンザ治療薬が注目を浴びていますが、その前に煙草から作った薬品 猿から作った血清でエボラ出血熱の医師が回復に向かっています。

この2つはアメリカでは未認可ですが、アメリカはどんどん薬品を認可する国であることを考えれば、認可は時間の問題でしょう。

アメリカに対し日本は認可が非常に遅い国なので、早急に治療薬を認可ができるかが盲点となります。

まずエボラは天然痘どころのウイルスではありません。エボラ出血熱はコラーゲン組織を破壊します。つまり細胞 血管 筋肉 内臓組織 皮膚 がバラバラに破壊され、身体中から血が吹き出して死ぬ病です。
エイズの末期的症状より酷い症状です。致死率は90%を超えます。

日本の対策は甘過ぎます。日本はこの期に及んでも
http://www.travel.co.jp/prlst/ia/Y_AFRICA_LR_MLW_JL_%E3%83%A2%E3%83...

リベリア行きの便を規制していません。ヨーロッパ アメリカ諸国は渡航をしないよう呼び掛けがされ、イギリスは1ヶ月便を停止する予定です。

今西アフリカではエボラ出血熱の犠牲者が火葬をされず、路肩に遺体が放置されたままです。


元は小さな村からでしたが、コウモリや猿を介して来たこととアフリカの食文化を考えれば、犠牲者が出ている都市部から爆発的に犠牲者が増えることも考えら れます。 またナイジェリア始め西アフリカには海賊が大勢います。彼等を介して中東にもたらされる可能性だってあります。



流行しているナイジェリアやシエラレオネなどの西アフリカの環境 経済状況を考えれば、全面渡航禁止にするべきです。
ナイジェリアなんて政府が機能していませんし、西アフリカには無政府状態の国が幾つもあります。

サウジアラビアの犠牲者にしろ渡航中にトイレなどを介して飛沫で同乗者が感染した可能性もあります。

エボラ出血熱の厄介なことは潜伏機関が長いことです。既に渡航された方は帰国したら即一時隔離が望ましいでしょう。

ちょっと日本の取っている対策は非常に危険です。
今は夏休み期間ですし、日本にもアフリカ系の出稼ぎは何万という単位でいます。

この期に及んで渡航する人の気がしれませんし、日本も対岸の火事では済まされません。

最も怖いのは、ウイルスの突然変異です。

正直またアフリカかぁ、という気持ちです。
何度指導しても改めないのですよ。エボラ出血熱は前から懸念をされ、現地民にコウモリや猿を食べないよう指導はしていました。

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引用終わり

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海外にお盆だから旅行に行こう、なんて

ニュースを見ているのでしょうか?

危機感のなさを感じます。

お盆の出国ラッシュがピークだとか、

非常事態宣言されてるっていうのにのんきすぎるかと思います。

ウイルスに対して甘く見すぎです。

 

大体トイレから出て手も洗わないような人たちが「インフルになった」などと

笑って言っているのですから

ウイルスや菌に対しての関心が普段からなさすぎると思います

 

私はインフルエンザにもノロにもかかったことはありません

衛生に気を遣っているからです

不特定多数の人が触れたものが汚くないわけがありません

そこにどんな菌がウイルスがあるか想像したことはあるんでしょうか

見えなければキレイだ、なんて そんな言葉はウイルスには通用しません。

 

 

 

 

 

納豆菌(サーファクチン)で合成界面活性剤の使用量を減らす。

【納豆菌のパワー】

人間に良いことばかりもたらしてくれる納豆菌が、さらなる活躍を今後してくれそうである。

 

《納豆菌が作り出す環状ペプチド(サーファクチン)は、合成界面活性剤の働きを増強する。
    微量の添加で、界面活性剤量を100分の1に減らしても、同等以上の界面活性効果を維持できる。
    洗濯などで大量に消費されている合成界面活性剤の使用量の大幅な低減が期待される。》

 

  独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)環境化学技術研究部門【研究部門長 北本 大】の北本 大 研究部門長、井村 知弘 主任研究員、平 敏彰 研究員は、株式会社カネカ【代表取締役社長 角倉 護】(以下「カネカ」という)と共同で、納豆菌が作り出す環状ペプチド(サーファクチン)によって、合成界面活性剤の使用量を100分の1程度にまで低減できることを発見した。

 低炭素社会への意識が高まる中、環境中への拡散が懸念される合成界面活性剤の使用量の低減や、石油由来からバイオ由来の界面活性剤への転換が求められている。今回、納豆菌を用いて量産できるサーファクチンの特性を詳しく調べたところ、かさ高い環状ペプチドの作用で、合成界面活性剤の働きが大きく増強されることがわかった。石油由来の合成界面活性剤に微量のサーファクチンを添加するだけで、合成界面活性剤の量を100分の1に減らしても、同等以上の界面活性効果を維持できることを実証した。今回発見した効果を活用すれば、洗剤やシャンプーなどの日用品や、広範な化学製品で利用されている合成界面活性剤の使用量を大幅に低減できると期待される。

 なお、この技術の詳細は、2014年9月9日~11日に北海道札幌市で開催される日本油化学会 第53回年会で発表される。

http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2014/pr20140731/pr20140731.html

 

 

 この納豆菌で出来た洗剤が世に回れば、汚水の悪臭もなくなるかもしれないし、

なにより環境への負担が減らせることが一番のメリットだ。

そして、企業も率先してこういった製品を使うようになれば、きれいな海や

川が戻ることだろう。

 

そもそもすでに環境への負担を減らすことを考えて、少しの洗剤の量で汚れを

落とすことのできるエコロジー洗剤が販売されているのだから、大企業はもっと

積極的にこのような洗剤を使ってほしいものである。

 

しかし、スーパーなどでそのようなエコ製品と普通の製品を見比べてみてもわかるように、エコ洗剤のほうが少しばかり値段が高かったりする。

 

百円ショップなんかでも、百円で買える食器用洗剤なんかが買えたりする。

しかし安かろう悪かろうで、そういった安価なものは肌にも刺激が強かったり

汚れ落ちも悪かったりするものである。

それでも、安ければいいという考えの人はどうしても出てくる。

 

そこで、大企業が率先してエコ洗剤を使用し始めれば、いいことの連鎖が起きる。

少ない水で汚れが落とせることから、汚水も減り、そしてそうした製品を積極的に

使っているということのアピールにもなるはずである。

 

もちろん従業員でもなければ会社がどういった洗剤を使用しているのかまでは実際わからないだろうが、

ブラック企業を辞めた人がその会社の実情を広めていくように、

会社の環境に対する取り組みを知った従業員が、それを素晴らしいと思ったら

その会社は繁栄していくのではないだろうか。

 

少なくとも私は資源を無駄に使いごみを量産している会社の宣伝なんてしたいと思わない。

従業員割引があったりしても買いたいと思わない。

まして売り上げがあるようにみせるために従業員に購入を求めるような会社なんて御免だ。

それがとても実用的でふだん使う消耗品のような品ならともかく。

 

むしろ絶対に買わないとさえ思う。

 

外にばかりいい顔をしていても、従業員がその会社を良く思っていなかったら

たくさんの人に愛される会社にはならない。

会社を愛せない従業員たちは会社を辞めていく。

 

「私は自分が勤めている会社を誇りに思っている」

 

そう胸を張って言える人はどれくらいいるのだろう。

 

話はそれたかもしれないが、

 

自然と共生していることを常に意識しているような企業に

発展していってほしいと思う。

 

 

 

 日々の生活にhappyをプラスする|ハピタス

2ch、事件の関与ほのめかす迷惑な書き込み

【「殺しちゃった」と血みどろの手の写真 高1女子殺害犯が2ちゃんに書き込みか】

《2014年7月26日夜、赤く染まった手を写した5枚の写真とともに「【閲覧注意】殺しちゃったんだけど」と題したスレッドがネット掲示板「2ちゃ んねる」に立てられた。スレッドが立てられた時刻は、長崎県佐世保市内の県立高校に通っていた松尾愛和(あいわ)さん(15)が同級生の女子生徒(同)に 殺害されたとみられる時刻から約2時間半後だ。

   このことから、加害者の女子生徒が書き込みをしたとみられる。長崎県警も書き込みの内容を把握している模様で、事件との関連について調べが進む見通しだ。》
引用元:http://www.j-cast.com/2014/07/28211577.html?p=all

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upされた写真(画像)は関係ないものだったという書き込みがコメント欄には書かれている。生理の画像であった、ともある。

事実についてはまだわからないが、釣りであった可能性が高いようだ。

2chでは釣りという行為が毎日のように繰り広げられているが、
一体どういう神経をしていたら今回のような釣りの書き込みをしようと思うのか
私には理解できない。

いくら掲示板で、釣る、釣られるという行為が日常的なものになっていたとしても。

そもそも、「釣り」という行為自体があまり好きじゃない。


ネットに慣れ、2chがどういうものか、不特定多数の人が書き込める掲示板に書かれた内容は「真偽」がつかみづらい、こういったことを理解して2chを読んでいる人ならはじめから釣られることも構わないと思っているのかもしれないが、

ネットを利用する人のすべてがそうであるわけがない。

自分の中での、これくらいやっても大丈夫という常識が、他人とすべて同じだと思ってはいけない。

自分の書き込んだスレッドが、盛り上がればいいな程度で書き込んだつもりが、
多くの人を巻き込み、傷付ける恐れがあるということ。

そんなこともわからないような人間に書き込みなどしてほしくない。

ネチケットという言葉があるが、この書き込みをした人物は知っているのだろうか。

「冗談だった」などという言葉が、騙された側に通用するとでも思っているのだろうか。



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人の心を見るということ 佐世保市高1女子殺害事件

《心に届いていなかった=高1女子殺害事件で-長崎県教育長》

2014年7月28日(月)17時39分配信 時事通信

 《長崎県の池松誠二教育長は28日、佐世保市で発生した県立高校1年女子の殺害事件について「大変ショックだった。われわれの教育が子どもたちの心に届い ていなかったのではないかという印象を持った」と述べた。その上で「背景に何があったのか把握したい。議会、市町関係者、県民の意見も聞きながら再発防止 策があるとすればしっかり策定したい」と強調した。》 

引用元:http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jiji-2014072800600/1.htm


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ある程度、他人がふだん何を考えているのかを考えることができないと、
生きていくことは難しいのだと思う


自分は友達だと思っていても、相手はいいように利用しているだけかもしれない。


人の心を見ることは、簡単とは言えない。


友達になる人は、自分で見極めて選ぶものだが、
あまりに人間不信になってしまっても孤立を辿ることになる。


学校というのは人が家庭以外で他人との関係をもつ初めての場所。


家庭と学校、二つの場所が、大人になるまでの人格形成に大きく関わってくる。


だから、学校で辛いことがあるなら、それは家族に相談できるような環境であることが望ましいし、


家庭で辛いことがあるなら、それを相談できるような友達が学校にいるということが、どれだけ子どもにとっての救いになるか。

 


きっとどこにも居場所がないと感じたとき、人は自らをいなくてもいい存在だと思ってしまうのだろう。


何か、問題の予兆があるのなら、私たちは常にそれに耳を澄まし、問題が起きないようにすることはできないのだろうか。


大半の教師は、生徒を見ているようで見ていない。
でも、そんな先生だけでもない。



私はそれを知っている。


自分の子どものように生徒のことを見守ってくれる。
ひとりぼっちの子どもを、さりげなく、気遣ってくれる。

 


そんな心のやりとりが在ることを、知っている。
自分に触れた思いやりの心を、子どもはいつまでも、覚えているのだ。


どんな人か、見極める目。
騙されない目。

 



生きながら、学んでいきたいところだ。



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