人の心を見るということ 佐世保市高1女子殺害事件
《心に届いていなかった=高1女子殺害事件で-長崎県教育長》
2014年7月28日(月)17時39分配信 時事通信
《長崎県の池松誠二教育長は28日、佐世保市で発生した県立高校1年女子の殺害事件について「大変ショックだった。われわれの教育が子どもたちの心に届い ていなかったのではないかという印象を持った」と述べた。その上で「背景に何があったのか把握したい。議会、市町関係者、県民の意見も聞きながら再発防止 策があるとすればしっかり策定したい」と強調した。》
引用元:http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jiji-2014072800600/1.htm
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ある程度、他人がふだん何を考えているのかを考えることができないと、
生きていくことは難しいのだと思う
自分は友達だと思っていても、相手はいいように利用しているだけかもしれない。
人の心を見ることは、簡単とは言えない。
友達になる人は、自分で見極めて選ぶものだが、
あまりに人間不信になってしまっても孤立を辿ることになる。
学校というのは人が家庭以外で他人との関係をもつ初めての場所。
家庭と学校、二つの場所が、大人になるまでの人格形成に大きく関わってくる。
だから、学校で辛いことがあるなら、それは家族に相談できるような環境であることが望ましいし、
家庭で辛いことがあるなら、それを相談できるような友達が学校にいるということが、どれだけ子どもにとっての救いになるか。
きっとどこにも居場所がないと感じたとき、人は自らをいなくてもいい存在だと思ってしまうのだろう。
何か、問題の予兆があるのなら、私たちは常にそれに耳を澄まし、問題が起きないようにすることはできないのだろうか。
大半の教師は、生徒を見ているようで見ていない。
でも、そんな先生だけでもない。
私はそれを知っている。
自分の子どものように生徒のことを見守ってくれる。
ひとりぼっちの子どもを、さりげなく、気遣ってくれる。
そんな心のやりとりが在ることを、知っている。
自分に触れた思いやりの心を、子どもはいつまでも、覚えているのだ。
どんな人か、見極める目。
騙されない目。
生きながら、学んでいきたいところだ。
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